Friday, July 6, 2018

四ノ宮一番街短信8


 ミソの散歩コースには私なりのポイントがあり、その日の気分に応じて、コースを決める。

 基本は自宅裏の法務局を廻り、ご先祖様の墓地で祈りたいときや、幼少の時期の思い出を感じたいときは、東方面の妙正寺公園、本天沼方面。有名人からの気を貰いたい時や、曾おじいさん(曾おじいさんは養子である)の本家らしき家や、お宮参りを兼ね備えたいときは、西方面の善福寺、井草八幡方面に行く。
 先日、コースのポイントであるダチョウ倶楽部 肥後克広氏の家を廻ろうとしたところ、本人が突然、玄関からワンちゃんを連れて出てきた。ワンちゃんもミソに反応して飛び出してきた。私もミソに引っ張られながら、びっくりして とっさに逃げてしまった。想定外とはこのことである。本人が出てくるとは思わなかったもんね。
 でも、挨拶したら友達になれるかと思ったけど、周囲を歩いても、もう居ない。諦めて道を歩いて居たら、再び向こうから来るでわないか。こちらもミソのウンチで立ち止まって居たから、もしや挨拶できるかなと思ったけれど、やはり有名人、ミソのことは見て居ても、人と視線は合わせないどころか、オーラを消している。
 確かに、有名人にどう話しかけたらいいのか、わかりにくい。知ってるのに知らんふりして、初めましてと言わないといけないが、いうのも滑稽である。考えること自体意味ないが。
 でも、そんなサプライズが、良いことがあるんじゃないかなとか、嫌な問題の解決の糸口が見えるんじゃないかとか、ちょっとしたポジティブをくれた。

四ノ宮一番街短信7


 認知症、高齢化社会の深刻な問題が、とうとう私にも身近な物になってしまった。昔だったら、周りに一人、爺さんがいるだけだったが、最近は挨拶する度に、妙に気を使うほど多い。
 認知症の基本は、やたらお金に執着心があり、怒りやすい。正面から話し合おうとすると、特に意見が合わないと、言い返してやろうとか、言い負かしてやろうとか、仕返ししてやろうという発想しかなく、まず反省の姿勢がない。
 本当は最も身近である家族が向き合って、どうにか対処しないといけないが、恐らく、受け入れるのが怖いのだろう。私も、特に家族でない認知症の人と、どう向き合っていいのかがわからない。


 昔からボケとか、高齢化社会とかという言葉はあった。80超えた自分の爺さんが、玄関先に一人で立って居た。こんにちはと頭を下げただけなのに、婆さんを家の中から呼び出して、なんか用かという。挨拶しただけですよというと、もうダメなんだよと、挨拶もしなくていいという様子だった。

 この間、ばったり身近な老人と偶然に正面から遭遇した。目の前で手を降って、頭を下げて、名前をなん度も呼んだのに、知らぬ顔をして行ってしまった。話を聞かない人だから、大事なことは、聞いてくださいと頼む。しかし失礼だとか無礼などと言ってくる。そうすると、こちらはどうしようもできなくなってくる。

 解決方法はあるのだろうか。終わりがあるのだろうか。いくら高齢化社会とは言え、にこやかに、話を聞いてくれる老人もいる。認知症という時期があるのならば、待てばなんとかなるのか、終わりの見えない不安に襲われる。

Tuesday, July 3, 2018

四ノ宮一番街短信6


 東京の電車で、一番気に入っているのが、京王井の頭線である。吉祥寺発で渋谷方向に行くと100パーセント座れる。静かな住宅地というか、商店街を横切り、何か夢が詰まっているような気がする。

 私は16歳まで、細く長く、駒場東大前駅の近くでバイオリンのお稽古をして居た。電車の中で、英単語を憶えたりしてた。何故か不安がなかった。
 
 大学の入り、バイオリンの才能が爆発した頃、下北沢や、明大前はよく飲みに行った。下北沢は今は様変わりしたが、昔はロックの街だった。
 
最近は永福町や下北沢は自転車で行く

四ノ宮1番街短信5


 人生、何かを乗り越える時に、近くにいてくれた人物だとか、店があり、解決すると、去ってゆき、消えてゆく。

 10年前、2008年7月、私は韓国のソウルにまだ居た。毎日、子供をバギーに乗せ、日差しよけを低く下ろし、長男を乗せて、ソウルのデコボコ道を、毎日散歩して居た。家内は外国人向け韓国語教師の課程を終えようとして居た。
 夜、私は楽器のあるバーに通い、楽器を用いてセッションして居た。韓国式馬頭琴というか胡弓も経験させてもらい、また、アップライトのピアノでビートルズもやった。
 父娘の親子とお母さんのサポートで経営して居たが、8月、我々が本格的に日本に帰国すると同時に、娘さんは結婚し、お父さんも店をたたんだらしい。不思議。

 8月に帰国してすぐ、家の近所の清水3丁目に炭火焼肉屋があって、料理が韓国の味だったためとても助かった。特に雨の日に食べる焼肉と焼酎って、韓国式な表現だが、美味い。でも、気づいたらなくなって居た、というか店が変わればいかなくなる。家内との癒しの場であったが、家内が日本の生活になれるに連れ、お店が変わってしまった。
 震災の頃、どこの飲み屋に行っても、何故か偶然、同世代が集まり、これからの人生に関する意見交換や情報交換をした。はたまた偶然、東北地方出身者との出会いが多かったが、震災が忘れ去られるに連れ、姿を消して行った。
 近い身内が亡くなり、仲介業者や金融機関の担当者が、困ったことがあったら、なんでも相談してくださいと言い、本当によくしてくれた。でも、落ち着くと、移動したり、結婚出産で休職したりで、去って行く。あまり協力的じゃないのが残ったりする。個人情報がどうだから教えられないとかいうやつ。
 不安で、家から離れたくない、それで、初めて家の近所のバーに入った。しかし、この間、姿形残さずなくなって居た。
 利害関係ばかりではあるが、まただれかと出会って、何かを乗り越えて行くのだろうか。