Monday, September 9, 2013

Kenji Iguchi Exhibition2013 風 Wind 


分らないから風である。子供らとの一緒の毎日でいつも眺めている風景。同じようでも同じじゃない。子供らもそうである様に、風だけが知っていることがある。

以前の私の作品には、常に表現に必要なモチーフが含まれていて、そのときの自分自身の情緒を隠喩した物を描いた。音楽の好きな自分を描くときは常に楽器が入り、避けたいものは壁で蔽い、コミュニケーションの可能性は橋で表現した。心が晴れなければ曇り空を描き、なきたいときは豪雨の窓ガラスを描いた。

しかし子供が生まれ、一緒に過ごすようになってから、私はただ、一人生きるための力がまだ備わってない子供と毎日連れ添い、必要とする力を与え、助けながら行動を共にする。そこには、ただ幸せを噛み締め楽しんでいる父としての自分自身がいる。子育てはけして楽ではない。うるさい時もあれば言うことを聞かないときもある。しかし毎日過ぎ行く時間、そこには微塵のネガティブさはない。見る風景を、ちょうど憧憬という漢字の忄(りっしんべん)を除いた、幼子が風景を見る視点で描こうとしている。何を描いても構わないという自由奔放さも備わっている。キィビズムから抽象表現に変わりつつあったジャクソン・ポロックに近いかもしれない。
分らないから風、その風は決して無責任な風ではなく、とても大きな力がそなわってる。

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