Friday, July 6, 2018

四ノ宮一番街短信7


 認知症、高齢化社会の深刻な問題が、とうとう私にも身近な物になってしまった。昔だったら、周りに一人、爺さんがいるだけだったが、最近は挨拶する度に、妙に気を使うほど多い。
 認知症の基本は、やたらお金に執着心があり、怒りやすい。正面から話し合おうとすると、特に意見が合わないと、言い返してやろうとか、言い負かしてやろうとか、仕返ししてやろうという発想しかなく、まず反省の姿勢がない。
 本当は最も身近である家族が向き合って、どうにか対処しないといけないが、恐らく、受け入れるのが怖いのだろう。私も、特に家族でない認知症の人と、どう向き合っていいのかがわからない。


 昔からボケとか、高齢化社会とかという言葉はあった。80超えた自分の爺さんが、玄関先に一人で立って居た。こんにちはと頭を下げただけなのに、婆さんを家の中から呼び出して、なんか用かという。挨拶しただけですよというと、もうダメなんだよと、挨拶もしなくていいという様子だった。

 この間、ばったり身近な老人と偶然に正面から遭遇した。目の前で手を降って、頭を下げて、名前をなん度も呼んだのに、知らぬ顔をして行ってしまった。話を聞かない人だから、大事なことは、聞いてくださいと頼む。しかし失礼だとか無礼などと言ってくる。そうすると、こちらはどうしようもできなくなってくる。

 解決方法はあるのだろうか。終わりがあるのだろうか。いくら高齢化社会とは言え、にこやかに、話を聞いてくれる老人もいる。認知症という時期があるのならば、待てばなんとかなるのか、終わりの見えない不安に襲われる。

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