Tuesday, July 3, 2018

四ノ宮1番街短信5


 人生、何かを乗り越える時に、近くにいてくれた人物だとか、店があり、解決すると、去ってゆき、消えてゆく。

 10年前、2008年7月、私は韓国のソウルにまだ居た。毎日、子供をバギーに乗せ、日差しよけを低く下ろし、長男を乗せて、ソウルのデコボコ道を、毎日散歩して居た。家内は外国人向け韓国語教師の課程を終えようとして居た。
 夜、私は楽器のあるバーに通い、楽器を用いてセッションして居た。韓国式馬頭琴というか胡弓も経験させてもらい、また、アップライトのピアノでビートルズもやった。
 父娘の親子とお母さんのサポートで経営して居たが、8月、我々が本格的に日本に帰国すると同時に、娘さんは結婚し、お父さんも店をたたんだらしい。不思議。

 8月に帰国してすぐ、家の近所の清水3丁目に炭火焼肉屋があって、料理が韓国の味だったためとても助かった。特に雨の日に食べる焼肉と焼酎って、韓国式な表現だが、美味い。でも、気づいたらなくなって居た、というか店が変わればいかなくなる。家内との癒しの場であったが、家内が日本の生活になれるに連れ、お店が変わってしまった。
 震災の頃、どこの飲み屋に行っても、何故か偶然、同世代が集まり、これからの人生に関する意見交換や情報交換をした。はたまた偶然、東北地方出身者との出会いが多かったが、震災が忘れ去られるに連れ、姿を消して行った。
 近い身内が亡くなり、仲介業者や金融機関の担当者が、困ったことがあったら、なんでも相談してくださいと言い、本当によくしてくれた。でも、落ち着くと、移動したり、結婚出産で休職したりで、去って行く。あまり協力的じゃないのが残ったりする。個人情報がどうだから教えられないとかいうやつ。
 不安で、家から離れたくない、それで、初めて家の近所のバーに入った。しかし、この間、姿形残さずなくなって居た。
 利害関係ばかりではあるが、まただれかと出会って、何かを乗り越えて行くのだろうか。

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