Thursday, January 17, 2019

1995年1月17日を思い出す


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 日曜日の昼下がり、仲間とライブをやって、友人も多く、両親も来てて、オリジナル曲に弦楽器まで入れて、渋谷のアコースティック・ライブハウスで演奏をした。打ち上げもした。     
出演者みんな家に泊まって、いつも通り音楽ビデオを見ながらビール飲んで、なんとなく寝て…
 起きて、テレビをつけた。焼け野原で煙が上がっている。えっ? 戦争が始まったの?
 あれが最後だったね。希望と夢だらけの日本の国のはずだったのに。

 東京に住んでいれば無関係だと思われがちだが、私の中では、何かが崩壊した。強がったふりはしていたけど。

 でもライブは続けた。まず客がこなくなった。メンバーや友達も、一人、また一人と離れていった。最後の一人になった時には、また新しい友達ができていたけど。今思えばいい人たちだったけど。

 例外なく、ステージで歌う人は言う。収益金は阪神淡路大震災のために寄付すると。私はあえて言わなかった。
ある人なんか熱く語っていた。その人は子供奥さん連れだった。
困った人がいたら助けないといけないと思う、その正義感に疑問を抱くと。助けたいと思うと、そこで心が救われるわけである。
その辺から、また出てくる言葉が、売名行為。もともと経済効果の伴わない人が言うとそうなる。しかし、人々もバカじゃないから、相手にしない。売名行為以前に、声がこだまするだけ。

そう言えば、同じ年のクリスマス、ビートルズが25年ぶりのニューアルバムを出した。同時に、私の希望や夢の一つが崩れた。世の中にビートルズはすでに存在しないと悟ったのである。あれだけ聞き込んで、本もチェックして、何か成功の手がかりを音楽から見いだせるのではないかと思ったのだが、…思えば確かに物事は、思い通り、考え通りにはいかないものである。ジョンレノンはとっくに亡くなった人だった。
 震災前年に学校を卒業した私は、エンターテイメントの最先端に行きたいと思い、まずライブハウスのオーディション、絵を描く会社に就職もした。友達も恋も、欲しいものは全て手に入れているように見えた。しかし全部失ったような思いがした。鬱だった。

あの震災や、もろもろの出来事を機に職を変えた。それが偶然にも、かの有名な元音楽プロデューサーのTK氏の出身校で、たまに甲子園にでる、あの学校だった。私は例の音楽プロデューサーが大嫌いだったと言うか、批判的だったが、その学校の音楽の先生とかは、学生時代の彼を知っていて、どうだったか話してくれた。どうでもいいことだったけど。
当時は知らなかったが、そのTK氏も不況だったことを後に知る。私の感じていた音楽の危機感は、どうも彼のせいではなかった。CDバブルの崩壊、不況だった。自分はどうでもいい、ただ、文化が崩壊しそうな恐ろしい危機感と戦っていた。

偶然、学生時代の京都出身の後輩と出会い、一緒にレコーディングをした。一緒に福生の米軍基地周辺を散策したり、京都の実家まで遊びに行った。恥ずかしかったけど。
その数週間後、色んな価値観をぶん投げて、韓国語の勉強を始めた。それが、まさかこんなに大きな人生展開なるとは思いもしなかった。そして、20年がたった。
色々ぶん投げたけど、ライブは韓国でも続いた。

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