Sunday, June 10, 2018

四宮1番街短信2


 聞きなれない旧地名がある。神戸と書けば「こうべ」と普通は読む。我が家の真隣の土地から、環八を渡り、清水3丁目にかけて、昔は『ごうどちょう(神戸町)』と言われ、公園の名前や、御長老達の新年会に名残がある。早稲田通りをまたいで、向こう側が柿の木町。図書館がまだ健在である。やはり、柿の木同志会、四宮神戸同志会のように、昔からの町内会が現在も存在する。
 現在の地名、今川も決して悪くはない。戦国時代、今川義元が織田信長に倒され、その家族が生き逃れられ、この地に住んだのは、小学校の社会科でも習った。
 我々の小学校の先生といい、近所のご長老と言い、まるでその時代を生きたかのように、歴史を語る。徳川家康より俺は偉いんだと言いたいばかりの勢いで、我々の祖先についても語る。
 オタクの家は源二さんの家だったと聞くが、戸籍には残らない、相当昔の話である。斜め向かいははしご屋だとか、色々あるらしいけど、聞いては、あーそうですかで通り過ぎる。また同じ話かよと思いつつ、気持ちよさそうに話す老人の声に耳を傾ける。
 うちが本家でオタクは分家、あーそうですか(だからなんなんだろう)

--> そうよ、よく聞いておきなさいと周りの人。しかし話した老人が席を離れると、いいの いいの、聞き流せばいいの。暗黙の了解である。

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