Friday, December 7, 2018

1980 そして一二月八日

1980 そして一二月八日
 1980年、私は小学校5年生だった。今の長男と同じ年である。
 テレビを見ていたら、元ビートルズの誰それが麻薬で捕まったという報道が流れた。襟足の長い外人さんが笑いながら手を振り、沢山の女の子たちが泣いている。あれ?ビートルズって、お笑いタレントのグループでしょ? …違う!あれはズートルビイ!と家族がいう。山田くん座布団持って行きなさいのズートルビーしか分からない私はチンプンカンプンだった。
 今思えば、それから、たった2年後だね、ラジオで聞いたイエスタデイに魅かれて、私もこの曲を弾けるようになりたいと思った。あの時のアレが、ポールマッカートニーだったことを知った。
 同級生に、あるったけのビートルズのダビングを頼んで、買ってもらった小型のテープレコーダーで聞き続けた。今でいう中二病というやつで、ロック音楽を聞いて、心をエキサイティングさせていた頃である。ヘビメタと和製ロックばかり聴いていた私は、本気で音楽活動をしたくなった。
 書店で、まずポールの伝記を買った。読み終わって、次という時、横に、いちご畑よ、永遠に  ジョンレノン追悼 という本があった。タイトルの優しさに魅かれて読んでしまった。そしたら関心ごとがそっちに移っていった。
 ?ん ナニこのギター、これなら俺でも弾けるぞ。世界のビートルズでしょ。俺だって出来るぞ。そう思った私は、急に楽器に夢中になり始めた。
 その時は、エジソンとかモーツアルトとか野口英世とビートルズは変わらなかった。特にジョンレノンは。偉人、亡き。
 今思えば、ポールが捕まった半年後に、ジョンが死んだという事実を知る。
 高二の頃、突然、全校生徒の前で、ピアノの引き語りをした。レットイットビーである。そしたらみんなビックリして、数ヶ月後には生徒会委員長になってしまった。あれ?勉強もスポーツもできな私にとっては、革新的なことだった。ところが、数ヶ月後、女の子たちが集まるライブハウスで、ジョンレノンを演ったら、どっちらけだった。お腹が痛くなっちゃった。
 その数年後、フィリピンのマニラで歌ったら、大盛り上がり。やっぱジョンの曲は国家を超えないとダメね。

 今は、子供の歌を聴いていたい。いつまで聞けるかな。時折、知人のカラオケバーでバカみたいに歌うけど。昔のようなこだわりはなくなった。
 一二月八日、ラジオで聞くたびに思い出す。

-->  あの時、沢山の本を読んだけど、まんざら 間違っていたわけではない。当時理解できなかったことが、このとしに理解できるようになったり、さらには、国家をまたいで生活していると、理想と現実で心は揺れるけれども、自分自身というポイントがしっかりしてくる。どこの誰ぞの人生じゃないんだから。

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