Thursday, December 6, 2018

東京油そば物語

東京油そば物語
 油そばと、初めて聞いて、どう思うだろうか。子供の父兄会に顔を出した時、隣の誰それのお母さんに、食事して来て遅くなりましたと話した。何を食べたかという会話で、正直に油そばといったら、その方は顔をしかめた。私も、ちょっと、冷静に客観的に、油そばというネーミングを、頭の中で思い浮かべた。健康食には相反するネーミングである。
 私が初めて油そばの存在を友人から聞かされたのが1997、8年頃、丁度。職場が早稲田界隈にあった頃である。つけ麺は既に話題にはなっていたが、酢の味が強いつけダレが主で、友達と初めて食べた油そばも、お酢を入れた。お酢には、ちょっと理解し難いものを感じたが、入れたら美味いと聞けば、美味くも感じる。
 早稲田、言わずと知れた学生街が高田馬場まで、早稲田通り沿いに続く。フラッと一人で歩くことが多かったが、大きく 油そばという垂れ幕がある中華料理屋があった。中に入ると、油そばのウンチクが書いてあった。私個人は、それより、厨房の中国人のおじさんの方が印象的で、50度ぐらいの焼酎を出してくれて、中国人が一番よく飲む酒だと教えてくれて、そっちの方が人生に多大な影響を及ぼしている気もする。社長も長髪に髭面で印象的だったが、喋らず、店外に出て行ってしまったから。
 私の職場は映像を扱うから、テレビモニターが複数あり、テストで民放をよく流していた。そしたら、油そばの特集で、例の高田馬場の髭面の社長がテレビに映っているではないか。野菜とチャーシューとメンマを、ラー油、植物油、お酢と絡めて食べると説明している。まるで元祖のような番組内容に、抗議が殺到した。亜細亜大学OB会の方々から多くの抗議の電話がかかって来てますという。スゲーなー、私も友人から聞いていた。武蔵境、亜細亜大学近所の珍珍亭が元祖だというのがもっぱらの噂である。わざわざ食べに行ったし、未だに、運動がてら、荻窪界隈の自宅から自転車で行く。当時は感動した。当時は、と書いたのは、これから説明する。
 
ラーメン屋の主人にとって油そばとはどういう位置付けなのか。私は個人は、スパゲティーの最もシンプルな、唐辛子を焼いたオリーブオイルに絡めた、ペペロンティーノと変わらない印象だった。当時は。当時は。
 井荻に変わったラーメン屋があって、店のオーナーと厨房のラーメン職人が違う。オーナーはラーメンを作れない。職人が休みの日に、そのオーナーが油そばを売り始めた。職人曰く、油そばは簡単で、誰でも作れるから教えたという。そこで、ふと、その職人の油そばに対する位置付けが明らかになったことに気づく。簡単で、誰にでも作れる
 あれから10年が経ち、海外生活も経験し、懐かしさのあまりに食べた油そば、あれ?、違うぞ、そうだ、豚の背脂 ちゃっちゃっちゃだ‼︎
 上井草北側、新青梅街道沿い、お婆ちゃんがやっている 幸来。豚骨ベースの油そば、てっぺん。上井草は何気にラーメン、つけ麺、油そばの聖地と化している。
 そして、懐かしい早稲田にも、よく自転車で行った。なんと油そば専門店だらけ。一通り入ったが、その中で妙に気に入った店があった。太麺の野菜いっぱい肉いっぱいのゴテゴテ。今の時代、ペペロンチーノでは物足りない。そこには、和製カルボナーラと書いてある。油そばの極みはゴテゴテ。子供の学校が近いのもあって、授業参観の合間にも行くようになった。早稲田大学の学生の行列に混ざって、ゴテゴテの油まみれの店の行列に並ぶ。店の名前が武蔵野油学会。名前はどうでもいい、味と満足度である。
 正直、油そばって、しょっぱい店が多い。油に絡めるからこそ、味のバランスが難しいのかしかし、私の気にいる店は決してしょっぱくない。見た目もギトギトだが、アッサリもしている。
 油そばと出会って、あれから20年、とうとうその店が、自宅から自転車で20分、吉祥寺にできてしまった。どうしましょう、毎日、運動がてら自転車漕いで行きたいくらい。でも油そばでプラマイゼロね。

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