Saturday, December 8, 2018

NY city 1976


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NY city 1976
 空から落ちてきた白い粉が、少年の手のひらで溶けた。少年の世界最初の大発見、NYの夜に光る、オレンジ色の曇り空から雪が降ってきたのである。自分だけの大発見、少年は一人で確信していた。1976年のクリスマスの頃である。
 あれから30数年、その地では、世界的に有名な、いろんな事件がきた。ただ、人の話を聞くだけでお腹がいっぱいになってしまうほど、それ程行きたいとも思わず、時間だけが過ぎた。
 我々夫婦はソウルと東京を行ったり来たりして、新婚旅行すら出来ず、二人目の子が身ごもった時、私も40になり、例の亡くなっている、世界的有名なミュージシャンの年齢になっていた。急に画廊周りをしたくなり、NYに行くことを決意した。
事実上、これが新婚旅行になった。と同時に、それまでの自分との決別、そして例の有名ミュージシャンのお墓まいり的なニュアンスになった。

よく笑われた、留学して4、5年住んだとか、何回いったとか、ウンザリするほど聴いた。わかった、分かったよ。俺だってソウルに8年住んだのだから。でも、今はそれ程話たくもない。自分の人生だから。

ケネディー国際空港に到着して思った。30数年という時間が一瞬にして消えた。何にも変わってないのである。ただ、あの有名ミュージシャンがいないのと、世界で2番目に高かった双子のWTCが無くなっている事をのぞけば。例の世界的ミュージシャンのパートナーが未だ、生き生きと巨大な看板の中で吠えている。
遠くの夕焼けには摩天楼のシルエットとカラスが見える。黒とオレンジの2色の風景。

まるで自分の思春期を予想していたのだろうか。一緒にいた両親が地球人に思えないほど、遠くに感じた。そして数年後、狂ったように楽器の音を聞き、ビデオを見て、本も読んで、論述さえもして、でも、ある時、25の時、全てに終わりを感じた。世の中にすでに存在しないものを追い続けていたことに気づく。
それでも思想性にはお世話になった。自分の信念は曲げなかった。
Imagine there’s no countries.
It isn’t hard to do.
Imagineは簡単かもしれない。でも、現実に乗り越えるのは、相当の忍耐力がいる。

横の信号が赤になり、青信号を確認せずに渡り出す、太った人たち。ブロードウェイミュージカルの俳優が凡人に見えてしまうほどである。
1976年、彼の方、有名ミュージシャンは、朝10時にコヒーを飲みに来たらしい。トイレに入って、一人笑い続けているという。そう話す知人もミュージシャン。日本と違い、非合法のドラッグが手に入ったらしい。その知人は言ったらしい。あんたのせいで、音楽を始めたと。すると数年後、息子がデビューして、その有名な父から言われたという。音楽をやるのは勝手だけど、俺のせいにはするなよと。話に筋が通った。

一二月八日、この日になると思い出す。






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